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☆JETS音楽団 Spring Concert!

Spring Conert!のお知らせ
田端直美さん(大阪市音楽団)のサックスが炸裂します! お仕事帰りに、ぜひ!
Date: March 28, Fri. 18:00~
Site: JETS Academy
Shusaku(Gr/Vo), Naomi(Gr/Vo), Naoko(P), Yoshio(Bass), Naomi(Sax), Yuri(Dr)
Special Guest: UGO-san (ACOUSTIC BAR UGO)
出演者募集中!(JETS以外の方でも、ぜひ、ご参加ください!)
前回の演奏は、Youtubeで、JETS@RJをご検索ください。

☆よもやまばなし  我が輩は猫である

夏目漱石の”我が輩は猫である”は、”I Am a Cat”という英文タイトルに翻訳されています。 なんだか、物足りないような気がします。 が、”私”、”僕”、”おれ”、”我が輩”、etc., を英訳する場合、すべて、”I”になります。社長も、子供も、自分の事を”I”と表現します。 ところが、たとえば、”I Love You”を和訳する場合、日本語では、”あなたのことを愛しています”、”君の事が好きなんだ”、 ”おら、おめえが好きだ” “好きやねん”などなど、それぞれの状況、背景、方言によって、様々な訳だしが考えられます。文学作品の翻訳は、つくづく、難しいな〜と思います。

☆お知らせ  新田先生のブログをのぞいてみてください!

JETS Academyで、大変お世話になっている新田先生のブログです:http://blogs.yahoo.co.jp/bestcoffee77/9985074.html
新田先生は、通訳・翻訳、英語講師(企業、大学、専門学校でのご経験が豊富です)、そして、英語教材の著者として大活躍されておられます。 新田先生のクラスを受けると、必ず、何か気づきがあり、楽しく英語を学ぶことができると、生徒の皆さんから、大人気の先生です。新田先生とは、関西外語専門学校で、講師仲間として出会いました。私が、まだ、かけだし講師の頃、先輩講師として(年齢は、私よりもはるかにお若いです…..笑)尊敬していました。新田先生に出会えたことを、いつも感謝しています!

☆お知らせ

JETS Academyの英会話サロンで使われるReading Assignmentをご希望の方は、ご連絡ください。原則的に、英会話サロンの前日までに、マンスリーメンバーの方・出席予定者にメールで配布しています。

☆よもやまばなし  そして英語講師に…

NYから帰国後、しばらくは、通訳・翻訳のお仕事を続けていましたが、関西に住む事になり、(通訳の仕事は、ほとんど東京に集中していました)、少しづつ、仕事を、通訳・翻訳業から英語の講師にシフトしていきました。 まず、関西外語専門学校、大阪外語専門学校や、関西の大学などで、通訳・翻訳・英検・TOEIC・TOEFLなどのクラスを担当しました。大阪外語専門学校では、翻訳学科の主任になり、児童文学やビジネス文書などの翻訳のクラスを担当しました。 素晴らしい生徒に恵まれ(児童文学などの分野では、生徒さん達の生き生きとした作品に圧倒されることもありました!)、英語を教える”引き出し”が増えた時期でもありました。 また、新田先生やTracey先生など、素敵な先生方との出会いもありました。 色々な学校で教鞭をとりながら、いつも、心の片隅で、いつかは、日本人にあった理想的な英語学校を築いていきたいという強い思いがあり、8年前にJETS Academyを立ち上げました。 昨年、横浜にあったJTES, Inc.(ジェッツ・インコーポレイテッド)の事務所を閉め、JETS Academyが主体となり,通訳・翻訳業務も一体化しました。 今も、まだまだ、試行錯誤、創意工夫が続いておりますが、よりよい英語学校をめざして、真摯に取り組んでいきたいと思います。(まずは、日本人にあった、より楽しく、効率的な英語教材の開発にとりかかっています。) 今後ともどうぞ、よろしくお願い申し上げます!
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☆よもやまばなし コロンビア大学 TESOL(英語教授法)プログラム

1998年から2003年までニューヨークに滞在中、コロンビア大学で、TESOL(英語教授法)の資格を取得しました。 約10週間の夏期集中講座で、毎朝8時半から5時まで、スケジュールがみっちり。 あまりにハードで、途中でドロップアウトしてしまう人も何人かいるほどでした。 内容は、英語の様々なTeaching Method, 教材開発、文法・発音の教授法などを、それぞれの分野で活躍する有名な講師に教えていただく事ができました。また、コロンビア大学のAmerican Language Program(ALP)や、移民局が提供する英語のクラスで、実際に、中国、韓国、日本、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中近東からの語学留学生に英語を教える実習もありました。入学資格は、TOEFL(PBTで600点以上、CBTで270点以上)、英語教育に関する論文審査、大学の成績などでした。生徒のほとんどは、アメリカ人で、日本人の生徒は私だけでした。他に外国人は、ギリシャ人とメキシコ人が数人いて、英語を母語としない者同士、とても親しくなりました。ニューヨークでは、ライ(Rye)という町に住んでいたのですが、毎日、NYC(マンハッタン)まで、車で約40分の道のりを通いました。 毎日の課題(論文やプレゼンテーション)に追われ、あっと言う間の10週間でした。コロンビア大学の周りには、素敵なレストラン、お店、ライブハウスなどがたくさんありましたが、ほとんど行けずじまいでした。教材開発のクラスが一番大変でしたが(とても楽しかったのですが)、卒業プロジェクトで”A”をとることができ、また、私の開発した教材が実際にALPで使われることになり、とても嬉しく思いました。このプログラムを終了して、約3週間後に、9・11テロ事件があり、NYCに住む友人達、お世話になった講師陣の事をとても心配しましたが、その後、皆と再会できた時は、本当に、感激しました。IMG_9289IMG_9288IMG_9292IMG_9297

☆よもやまばなし 通訳・翻訳会社 JETS, Inc.について

前回、このコーナーで、JETS, Inc.の設立について少しふれましたが、今回は、その事業内容についてお話ししたいと思います。 (有)ジェッツ・インコーポレイテッドを設立当時は、バブル経済の真っただ中で、5年間お世話になった神奈川県庁、ならびに県内の横浜市、座間市、姉妹州のメリーランド州政府、カナダ大使館などの公的機関や、貿易商社(理化学機会の輸入商社、イタリアの自動車メーカー)などの民間企業、ボストンの理化学機器のメーカー、米軍情報機関(日本の雑誌を英訳する仕事)などから、まとまったお仕事をお引き受けすることができました。 また、カナダ大使館で通訳の仕事をしていた時に知り合った専属翻訳者の同僚もジェッツに入ってくださる事になり、さらに、お互いの通訳・翻訳仲間を駆使して、色々な仕事を切り盛りしていました。 が、バブル経済が弾けると、状況は一転し、仕事量はガタ減り、どうしようかと思っていたところ、神奈川県の姉妹州であるメリーランド州政府から日本の代表事務所を運営する仕事のオファーがあり、お引き受けしました。 これを契機に、通訳・翻訳のみならず、イベントの企画やビジネスコンサルティングのような仕事も手がけるようになりました。 また、技術翻訳などで、長くお手伝いをさせていただいていたボストンのベンチャー企業が開発した精子分析装置が、にわかに脚光を浴びるようになり(当初、3名でスタートしたこのベンチャー企業は、今や上場企業。製薬会社、不妊クリニック、大学の研究室が主な取引先でした)、何とか、バブル崩壊後の厳しい時代を乗り越えることができました。その後、NYに転居後も、ボストンの企業の通訳業務や、製品マニュアル・契約書の翻訳業務などを、細々と続け、現在に至っています。当時、いち早く、インターネットを取り入れた事などもあり、東京のとある出版社から取材が入り、下記のように紹介してくださいました。
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☆よもやまばなし 神奈川県での通訳職の仕事

前回(通訳かけだしの頃)の続きです。 2年間ほど、神戸製鋼で技術通訳・翻訳の仕事を経験後、家族の事情で、東京(横浜)に転居することになり、とりあえず、また、通訳・翻訳エージェントに登録して、フリーでお仕事をお引き受けしていました。 が、やはりフルタイムの規則正しい仕事を探していたところ、神奈川県庁が通訳職を募集しているという求人広告を見て応募しました。公務員試験、専門職の試験、日英での面接など5次試験くらいまであり、まさか、突破できるとは思ってもいなかったのですが、最終選考まで残り、2名の採用枠に入りました。神奈川県に入庁後は、神奈川県渉外部国際交流課に所属し、知事・副知事通訳、米軍基地関連通訳、姉妹州関連の通訳(米国メリーランド州、マレーシアのペナン州、オーストラリアのゴールドコースト、スウエーデンのエーテボリ、ドイツのバーデンビュルテンベルグ州など)、公的文書の翻訳が主な任務でした。 在職中に、福祉政策、環境政策、経済政策、教育問題、女性問題、文化交流など、様々な分野の仕事を経験することできました。 当時は、バブル経済のまっただ中で、海外出張なども多く、超多忙の毎日を送っていました。また、米軍関連の英文契約書類の作成などでは、通訳職の厳しい上司にみっちりしごかれ、今でも、当時の上司には感謝の気持ちでいっぱいです。神奈川県庁での仕事は、とても充実していたのですが、2人の子供をかかえ、毎日、残業などをすることが難しかったこと、と、同時に自分で通訳・翻訳会社を起業してどこまでできるのか挑戦してみたかったことなどもあり、県庁に入って5年目に退職をして、フリーになる道を選びました。 安定した公務員の仕事をやめる時は、かなり悩みましたが、自分の夢に向かって一歩踏み出し、JETS, Inc.(有限会社 ジェッツ・インコーポレイテッド)をスタートさせました。 JETSは、Japanese English Translation Serviceの頭文字をとりました。今のJETS Academyの母体となります。 つづく
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